まだまだ陽が高い時刻。稟は何時も放課後に見せる切羽詰った表情、疲れた表情を
見せることも無く意気揚々と商店街に向けて足を進めていた。
別に何があったというわけではない。むしろ何も無かったからこそ稟の機嫌は良かった
のだ。
何時もなら放課後にお決まりのパターンとなっているKKK、SSS、RRR、PPP連合軍との
逆鬼ごっこが今日は無かったのだ。幸運と言うのは極々稀にあるもので、いわゆる土見
ラバーズの面々も今日は親衛隊連中を怒らせるような事もしなく、それによって今日は
休戦日となったのか稟を襲ってくることは無かった。
その非日常的な日常が一般的に言う日常になった事に稟は少々拍子抜けするも、その
幸運を素直に受け入れて優雅な放課後を満喫する事となったのだ。
シアとネリネは先に帰り、楓と亜沙は新作料理を試作してみるという事で学校に残った。
プリムラは同じクラスの子と帰るらしく、結局稟は久方ぶりに一人での下校となったのだ。
両脇に誰も居ない帰り道に少しの違和感を覚えながら、静かな帰り道の情景を稟は
満喫していた。
「こんな時が多いと良いんだけどな」
恐らくは叶う事ないであろう願いを口にする稟。
自分の家の隣に居る神様や魔王様と言った実在の人物や、流れ星や短冊と言った願掛けに
近い物すべてに願っても叶わないのは分かりきっている。
だからこそ言いたい時もあるのだ。
商店街に着いた稟は最近寄っていなかった本屋での新刊チェックや、CDショップでの新譜
アルバムの確認をしたりと久々の自分の時間を過ごしていた。
目当てのものが見つかったらしく、ホクホク顔の稟がさて家に帰ろうと思ったとき、
耳の端のほうに小さな声が聞こえてきた。
「……」
普通ならば聞き逃してしまいそうな実に小さい声。しかし彼にとっては聴き覚えがある
その声に反応をした。
決して聞きたいとは思えない声。
誰かの泣き声。
「ぐすっ……ぐすっ……」
その声の主を彼は考える前に探し始めていた。そして自分の視界に入ってきた泣き声の
主は自分にとって見覚えがあるその人だった。
「亜麻さん!?」
「あ……りっちゃん? りっちゃんだ……りっぢゃーん!!」
最早泣きすぎて鼻が詰まってるのかどうなのか分からなくなっている亜麻の声に稟は
少したじろぎながらも、抱きついてきた彼女をしっかりと抱きとめる。
実際には自分の倍近い年を取ってる筈の彼女だが、常日頃の行動言動はそれを疑問視
させてきた。その上、今はこうやって泣きじゃくりながら抱きついてきているわけで、
その姿は自分よりも年下に思えてきてしまうのは当然と言っても差し支えは無いだろう。
自分の知ってる人が居た事で気が緩んだのか、何時まで経っても泣き止まない亜麻。
稟も頭を撫で続けてあげてはいるものの、これ以上どうすれば良いか分からずに戸惑って
いる状態だった。
「あの……亜麻さん?」
「ぐしゅぐしゅ……えぅ……」
「困ったな……」
泣いている子供の相手をしてやることは多かった稟だが今回は何時もと違うわけで、
その対処法に困り果ててしまっていた。
どうするか考えあぐねながらふと周りを見渡すと、遠目からこちらを見ている人々に
稟は気づく。
恐らく、と言うよりはほぼ間違いなく俺は勘違いされている。
というか今の状態を客観的に見たら年下の子を泣かせている悪い奴。多分そんな所
だろう。
こんな時に嫌な位冷静に状況を判断した稟は、とりあえず場しのぎにと泣きじゃくった
ままの亜麻を連れてフローラの中へと入っていった。
「りっちゃん美味しいね☆」
「そうですか……」
さっきまで泣きじゃくっていた亜麻はチョコパフェの一つでピタリと泣き止んだ。
先ほどまでとは打って変わってのいつもどおりの笑みを見せている彼女に対し、稟は
少々呆れていた。
これじゃあ子供っぽいと言うよりは子供そのものだ。
呆れながらも嬉しそうにパフェを食べる亜麻を眺めていると、頬に生クリームを付けた
彼女はきょとんとした顔で稟を見てきた。
「どうしたんです?」
「りっちゃんも食べたいの?」
「はい?」
「なんだぁ〜、言ってくれれば良いのになぁ〜。はい、あ〜ん☆」
「え、あ……」
稟の言葉も聞かず、亜麻はスプーンにパフェをすくうと彼の口元に寄せてきた。
稟も最初はどうすれば良いか分からずにいたが、笑顔満点の表情でこんな事をされたら
拒絶など出来るわけも無い。そもそも亜麻相手に拒絶の意思を見せたらまた泣かれるのは
分かりきっている事だった。
現状を打開するにはそれを食べるしかない事を理解した稟はおずおずとスプーンを
口に含む。口の中に広がる甘い味は彼女の好意のように思えてきてしまう。
そんな事を考えながら口を動かすと、亜麻は何も言わずに満足げな顔を見せるとまた
パフェを食べ始めた。
「あ……」
稟は一つ気づいた。彼女の咥えているスプーンはさっき自分が口に含んだそれであって、
そういえばさっき口に含む前は彼女が含んでたという事実。
当の本人である亜麻自身はそんな事は全く気にしていないらしく、嬉しそうにパフェを
食べ続けている。平然と恥ずかしいことをやっている事に気づいた稟は頭を掻いて
恥ずかしさを紛らわす。
そんな稟の考えは亜麻には分からないらしく、彼女は彼が自分を見ているのは先ほどの
一口だけじゃ物足りないとの勘違いの結論に達した。
「りっちゃんもっと欲しいの? しょうがないなぁ、もう一口だけだからね。けどバナナは
あげないよ?」
「あ、いや、そうじゃなくて……」
「? じゃあどうしたの?」
「あ〜……その。ほっぺに生クリームついてますよ」
「ほんと?」
稟はついている部分を自分のほっぺをつついて教えてあげる。しかし亜麻はナプキンで
拭こうとはせずに舌を伸ばして取ろうとした。けれど取れるはずもなく、それにもめげずに
彼女はチャレンジを続ける。そんな姿を見ていて稟は我慢できなくなったのか、彼女の頬に
くっついたままの生クリームをナプキンで拭いてやるのだった。
「はい、取れましたよ」
「なんだぁ、舐めて取ってくれると思ったのになぁ」
「変な事は言わんでください……」
「えへへー」
これじゃカップルそのものじゃないか。
稟は心の中でそう呟いて外を眺める。外には買い物帰りの主婦や、自分同様の学校
帰りの学生、配達をしている人の姿も見受けられた。
普通の放課後を謳歌したかっただけなのに、何でこうも自分にはトラブルが舞い込むの
だろうか。自分のお節介のせいでおきている事は分かっているのだが、これは性分らしく
自分自身直す気にもならない。
夕焼け色に染まり始めた商店街を眺めながらアンニュイな気分に浸る稟の耳に、騒ぎの
一端を担いそうな声が入ってきた。
「あら、稟さんと亜麻さんじゃありませんか。お二人だけだなんて珍しいですわね」
「あ〜、カっちゃんだ〜」
「カレハ先輩。今日はお仕事なんですね」
「えぇ、本当はお休みだったんですけどヘルプという形で少しだけお手伝いをする事に
なりまして」
「カっちゃん偉いなぁ〜」
「それじゃあ俺がダメみたいじゃないですか……」
亜麻の事だから悪気があったり、稟を引き合いに出して言った言葉でないことくらいは
稟自身にも分かっていた。しかしこの状況下ではそう思ってしまうのも無理は無かった。
「稟さんは何時も大変みたいですし、仕方ありませんわ。それに何時も頑張ってる稟さんは
とても素敵だと思いますわ☆」
「ど、どうも……」
さらっと恥ずかしいことを言う辺り、カレハと亜麻には共通点があるのかもしれない。
もっとも、彼女が言っている頑張りとは放課後に行われる逆おにごっこの事なのだが、
その点で彼は頭を痛めている事を彼女は知らないらしい。
「それにしても亜麻さんと稟さん二人きりだなんて、まるでカップルみたいですわね」
「え〜、嬉しいけどりっちゃんはあーちゃんとかカエちゃんとかの彼氏さんなんでしょ?
それにボクみたいなおばさんなんてりっちゃん相手にしてくれないよぉ」
「あらあら、そんな事ありませんわ。彼女の母親をも手篭めにしてしまう稟さん……」
おばさんって、どこをどう見ればそうなるんですか、それに亜麻さんを手篭めにって
何言ってるんですかカレハ先輩。
そんな突込みを稟は心の中で行いつつも、カレハの態度にいち早く反応を見せた。
きっとあれがくる。
「まままぁ♪」
ほらきた。稟は呆れながらもカレハの妄想モードを見つめる。
「まぁ、稟さんったら。亜麻さんだけでは飽き足らず私やツボミちゃんまで……まままぁ♪」
「……」
何も言ってない。
ただ見ていただけで再度トリップしてしまった。終いにはカレハ自身や自分の妹である
ツボミまで対象にしはじめるのだから彼女の妄想の広がり方は尋常ではない。
その雄大なまでの想像力に呆れながら、稟は亜麻の方に視線を向ける。
「カっちゃん幸せそうだねぇ〜」
あの姿を見てそう思うのは確実にあなただけです。
天然な人その2の反応を見て更にあきれ返る稟だった。
「そういえば」
あまりの状況に忘れていた本題をようやく思い出した稟は名残惜しそうにパフェの容器の
底をつついている亜麻に質問をした。
「亜麻さん何で商店街で泣いてたんです?」
「ふぇ?」
稟の質問に対して生返事を返してくる亜麻。彼女は少し考えた後に手をパンっと叩いて
事の真相を教えてくれた。
「そうそう、美味しいクッキーが焼けたからあーちゃん帰ってこないかなぁって家で
待ってたんだけど全然帰ってこなくて。遅くなるとも言ってなかったから段々心配に
なってきちゃって……。それで商店街まで来たんだけど段々陽は沈んでくるしで何か
寂しくなっちゃってね。そしたらりっちゃんが来てくれたんだよ」
「まぁ……たまたま商店街に来たら亜麻さんが居ただけなんですけど」
「細かいことは気にしないの。あの時のりっちゃん格好良かったなぁ〜。あーちゃんが
りっちゃん好きになっちゃうのも分かった気がするな」
「そんな……恥ずかしいことを言わないでください」
「ふふ、恥ずかしがるりっちゃんもかわいいなぁ☆」
言ってる事が本気なのか、それともからかわれているのか、そういった点は亜沙そっくり
である事を考えると二人は親子なのだと実感してしまう。
そんな事を考えながら亜沙の放課後について考える稟。
確か彼女は楓と料理をすると言って……。
「あ、そうだ。亜沙先輩なら楓と新しい料理を作るんだって学校に残ってましたよ。
急な話だったみたいですから亜麻さんには言えなかったのかもしれないですね」
「そっか。カエちゃんと一緒に料理してるんだ。なら遅くなるよねぇ〜」
帰ってこない理由が分かったのかほっとした表情を見せる亜麻。
しかし稟には疑問点が残っていた。
「まだ六時前ですけど……普通に考えてまだ遅い時間じゃないような」
「えーっと……確かにそうだねぇ〜」
亜麻さんが家を出たのは恐らく5時ごろ。今時の小学生だってそんな時間に帰らない
だろう。高校生なら尚更だ。
まぁ亜麻さんの亜沙さんを大事にするっぷりは分かりきってることだから驚く事でも
無いだろうな。
稟は常識が通用しないこの親御さんに呆れつつも、亜沙先輩を迎えに行くために
亜麻さんを連れて明日までは戻りたくなかった学校へと戻るのだった。
亜麻さんを連れて学校に入るのは嫌な予感がするから避けたい、そんな事を運命は
察してくれたのか、ちょうど学校に着いたときに稟と亜麻は学校から出てくる亜沙と
楓を発見した。
「あれ? 稟ちゃん? それに……おかあさん!?」
「あーちゃーん!!」
「ちょ、ちょっとどうしたの!?」
「だって、あーちゃん帰ってくるの遅かったから心配して……」
「そ、そう……」
嬉しいやら恥ずかしいやらと言った表情で亜沙は抱きついてきた亜麻の頭を撫でてやる。
亜麻もやっと亜沙に会えたのが嬉しかったのか、どうやらまた泣き始めてしまったようで
ある。
そんな逆転した親子愛を見ていた稟の手に小さな手が絡んできた。
「楓。おつかれさん」
「稟くんもお疲れ様です。亜麻さんとどうしたんですか?」
「あぁ、商店街に寄ったら亜沙さんを探して泣いてる亜麻さんに出会ってね。まるで
母親を探す迷子みたいだったよ」
「ふふ、亜麻さんらしいですね。それに、それを助けてあげるのも稟くんらしいです」
「あれは……無視できないって」
「かもしれないですね」
楓も泣き始めたときの亜麻の事を知っているせいか、目の前であやされている亜麻を
見ながら稟の言葉に同意する。
亜麻の母親らしからぬ行動、態度は彼女を知っている人には周知の事実らしい。
「で、今日は何作ったんだ?」
「それは夕飯までの秘密です。楽しみにしててくださいね?」
「了解。楽しみにしておくよ。それじゃあ亜沙先輩、亜麻さん。俺たちはここで」
「あ、稟ちゃん有難うね。今度お礼させてもらうからね?」
「ボクもお礼してあげるから楽しみにしててね〜」
「じゃあ楽しみにさせてもらいますね」
「うん、それじゃあまた明日ね」
「りっちゃん、カエちゃんばいばーい☆」
俺たちに向けて大きく手を振る亜麻と仲良く手を繋いで小さく手を振る亜沙。
端から見たら仲の良い姉妹──もちろん亜麻が妹になるのだが──に見える彼女たちは
本当に仲が良いのだなと彼女たちの後姿が物語っていた。
二人がある程度歩いて姿が小さくなっていったのを確認したところで、稟と楓は目を
合わせる。どうやら今日の楓はご機嫌のようだ。
「じゃあ俺たちも帰るか」
「はい。今日は良い日になりました」
「そうなのか?」
「だって稟くんと一緒に帰れるとは思ってませんでしたから」
「あー、まぁ確かにな」
稟自身も楓と帰れるとは思っていなかった。最初は静かに帰る風景に安らぎを感じて
いたがやはり誰かが隣に居たほうがどこか安心できる。
気がついたら稟の表情にも笑みが浮かんでいた。
「土見稟! 覚悟ぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!」
「今日は朝っぱらかよ〜〜〜〜〜〜〜!?」
登校して早々に始まった逆鬼ごっこ。朝は比較的おとなしい親衛隊の連中も今日は
一段と殺気を放っているのが分かる。
その光景に楓たち土見ラバーズの面々は困った様子だった。
「今日はどうしたんですかね」
「稟くん大変そう……」
「朝は時間がありませんし、そろそろ稟さまをお助けした方が良いでしょうか」
「リンちゃん、こっちに確認する前に魔力球を作るの……止めない?」
「ねぇ、緑葉くんは何か知らないの?」
「う〜ん、俺様が知ってる限りは昨日稟が商店街で女の子を泣かせてたって位かなぁ?」
「あー、そりゃあの連中も怒るわけだわ……」
「ごめんね、稟ちゃん。お母さんがふがいないばっかりに……」
「は、ははは……」
どうやら稟に平穏が訪れた場合、次の日に皺寄せが来るらしい。
その彼の不幸な境遇っぷりに心配をする面々であった。