川縁の土手に咲き並ぶ桜の木。
桜並木をそよがせる風も冬の厳しさから解き放たれてほんのりとした暖かさを運んで
きてくれていた。
学生が春休みとなっている今時分、光陽町も桜祭りが催され、桜を見ようともしくは
屋台を練り歩こうとたくさんの人が祭り会場に訪れる中、遠目にしながら仲良く歩く3人の
姿があった。
「もう殆ど満開になってるんだな」
「そうですね。明日にでもお弁当作って見に行きましょうか」
「桜……稟は好きなの?」
「あー、まぁ好きか嫌いかと言われれば好きだな」
「何で?」
人間界でのはじめての春を体験するプリムラにとっては桜に群がる人達が理解できない
らしく、一緒に歩いている稟へと質問をする。
質問された稟も桜が好きな理由など考えもしていなかったようで、戸惑ってしまう。
「あー……まぁ桜って日本の文化みたいなもんだしな。それに……」
色々小難しい理由や子供だましな理由などを考えてみるがこれといって良いものが
思いつかない。
稟があーでもないこーでもないと考え、プリムラが首をかしげながら待つ中で稟が
困っているのを見かねた楓が助け舟を出した。
「ほら、桜が咲く頃になると暖かくなるじゃないですか。これから春になって過ごし
やすくなってきますから、そんな時期に咲く桜がすきなんですよ」
「そうそう、そんな感じだな!」
「確かに……あったかい」
納得がいったらしく小さく頷くプリムラに見えないように楓に感謝の仕草を見せる稟と
それに微笑で返す楓。
この「家族」にも春同様の暖かみが広がっていた。
買い物がてらの散歩から帰宅してきた3人は芙蓉家の玄関前に佇む来客に気がつく。
楓は驚き、プリムラは特に反応もせず、稟は最早あきれ返っていた。
玄関で仁王立ちと言っても良いほどに雄々しく佇む二人の男性。
騒ぎの権化、祭りの申し子、平穏の破壊者である二人が自分の家の前で佇んでいる。
それだけで稟は良い予感などしてはいなかった。
「楓。もう少し散歩した方が良いんじゃないか?」
「え? でも魔王様と神王様がいらっしゃってますけど……」
「言わなくても分かるだろ……。うちにあの二人揃って来る時なんて碌な事が起きない
事くらい」
「あ、あはは……」
楓は人の悪口を言わないし、他人が言った悪口に賛同することもない。
しかしその否定をするわけでもない苦笑は楓がそれを否定しないというのと同義で
あった。
プリムラも言葉には出さないものの頷いて賛同をしてくる。
「よし、それじゃあ気づかれる前に……」
「稟、気づかれた」
180度転回した稟の前に向かい合わせの状態で居たプリムラが玄関の方向を指差して
心労の原因に捕捉されたことを教えてくれた。
逃げることが出来なくなった事に対し、稟は顔に手を当ててしまったと言う顔を見せる。
3人に気づいた両王は自分の方に背を向けている稟へと近づいてきた。
「よぉ! 稟殿。自宅に背を向けるたぁどうしたんだ?」
「稟ちゃん、まさか逃げようとしたりはしてないよね?」
「そ、そんな事ないですよ。ちょっとまた桜を見たくなりまして……」
「それは奇遇だねぇ、神ちゃん」
「おぉ、そうだなまー坊」
稟が逃げださないようにと両脇から肩をがっしりと組んでニコニコとする魔王、神王の
両名と二人に挟まれて既に満身創痍な表情を見せる稟。
まるで残業の連続で過労死寸前な営業マンが上司に無理矢理飲みに連れて行かされている
ような光景と化している。
そんな悲愴な感じをみせる稟を見た楓は、慌てながらも少しでも早く稟を解放させて
あげようと稟の両脇を固める両王に話しかけた。
「あの、奇遇って何ですか?」
「いやね、日本ではこの時期になると桜の木の下でどんちゃん騒ぎをするのが掟らしい
じゃないか。だからみんなでお花見でもしようと言う話になったんだよ」
「騒ぐのは人数が多い方が良いからな!!」
「そ、そうですか」
「騒ぐのは構いませんけど騒動だけは起こさないでくださいよ……」
少しやつれた表情で無意味なお願いをする稟。
どうせそんな約束など守られるはずがないと分かってはいても言わざるを得なかった。
そんな稟の予想通りに親バカと言うよりもバカ親2名は彼の両脇で声高らかに笑いながら
さも当然に、何時もの事だと言わんばかりに
「「そんなの当たり前じゃないか」」
と言うのだからタチが悪い。
自覚症状が無いのか、反省をしないのか。前者でも後者でも救いようが無いから稟も
頭を抱える訳だ。
しかもそれが2つの種族を統べる王だと言うのだから困ってしまう。
楓も稟の苦悩が既に分かっているらしく苦笑をするしかないようだ。
「わかりました……それで何時行くんです?」
「昼から騒ぐのも悪くねぇが、やっぱり夜桜で騒いだ方が良いってもんだろ!!」
「さすが神ちゃん。分かってるねぇ」
阿吽の呼吸と言っていいのだろうか、気持ち悪い位に意思疎通が出来ている二人に
頭痛を通り越してため息で呼吸をし始めた稟は眉間に皺を寄せながら玄関の門をくぐる。
玄関へと一歩二歩と進む途中で稟は一度足を止めると、疫病神でも見るような表情で
バカ親'sに視線を向ける。
「それじゃあ6時過ぎにでも準備が出来たら来てください。ほら楓、プリムラ行くぞ」
「は、はい稟くん」
「またね……」
稟、楓の後を追いながら神王、魔王に手を振って家へと入っていくプリムラ。
それに対して魔王・フォーベシイは笑みを浮かべて手を振りかえした。
3人とも家に入っていったのを確認すると、二人は優しい笑顔で玄関を見つめていた。
「プリムラもそれなりに表情が出てきたみたいだねぇ」
「それもこれも稟殿のおかげってやつかな」
「これでネリネちゃんと結婚してくれたら言う事なしなんだけどねぇ……」
「おぅおぅまー坊よ。ネリッ子だけ結婚ってのはずるいだろ。シアと結婚すれば他の
みんなとも結婚できるんだから万々歳だろうが」
「まぁそれもそうなんだよねぇ……。ま、ネリネちゃんが喜んでくれるならボクは十分
だしね」
どうやらこの二人には稟の意見というものは存在していないらしい。
「そりゃそうだ。おっと、早くシアに花見の事教えてやらねぇとな」
「そうだね。ネリネちゃんにも教えてあげないと。今日はどんな服装が良いかなぁ〜」
どうやらこの二人の娘に対する愛情の注ぎっぷりは天井知らずらしい。
「稟くん、シアさんとリンさんがいらっしゃいましたよ」
「ん……あぁ」
楓とプリムラが花見用のお弁当を作る間、少しでも英気を養おうと眠っていた稟は
何時ものように楓に起こされて目を覚ます。
居眠りをしていたソファーから体を起こすとテーブルの上に三段重が置かれているのに
彼は気づいた。
「あんなに作ったのか?」
「リムちゃんと二人で作ってたら多くなってしまって。けど神王様もいらっしゃいますから
大丈夫だと思いますよ」
「……確かに」
妙に納得してしまう一言だった。
何時も自分の父親の大食っぷりに悩んでいるシアが頭の中に浮かぶし、度々行われる
何らかの理由をつけた宴会の時に用意されるとんでもない量の料理が思い出される。
そんな嫌な思い出を払拭するように稟は頭を振ると客人が待っている玄関へと向かった。
待っていたのは暑苦しい両王ではなく、可憐な両王の娘。
一瞬だけでも訪れてくれた平和に対し、稟も安堵の息を吐く。
稟の姿を確認するとシア、ネリネの二人は何時もの素敵な笑みを稟に対して注ぐ。
「稟くんお待たせっす〜! お父さんが無理言ったみたいでごめんね〜」
「稟さま、お父様がご迷惑をおかけしたみたいで……」
自分達の親が稟に無理を言ったというのが直接言われなくても二人には分かっている
らしく、申し訳なさそうに彼に謝る。
稟も二人に対しては大きく言えるわけでもないし、二人に愚痴を吐くつもりも無いのか、
彼もまた何時も通りの笑顔を二人に返した。
「いいって。誘い方はどうであれ、みんなで花見ってのも悪くないだろ?」
「稟くん……」
「稟さま……」
彼の何気ない優しさについ舞い上がってしまう二人を見て稟は苦笑するのだった。
「稟くん、準備できましたよ」
「お待たせ……」
楓とプリムラの手には重箱以外の荷物がぶら下がっていた。
どうやら重箱以外にも色々と物があるらしい。
「何だ、そんなに荷物あるなら俺が持つよ」
「そんな、稟くんに荷物もちなんてさせられません!」
「楓、頼むから俺を衆人の目から「女性に荷物を持たせる酷い奴」と見られないように
してくれないか?」
「え、でも……」
「そういう事だから。ほら、行くぞ」
相変わらず手伝うという稟の誘いを頑なに拒む楓。
前よりは彼女の家事に対する頑固さも薄れてはきたとは言え、依然として彼女の思考には
稟に手伝わせるという事に対して引け目があるらしい。
そんな楓の態度にも慣れたのか、稟は楓の手から少々強引に重箱の包みを受け取ると、
楓に何かを言われる前にさっさと先に進んで行ってしまった。
少しの間、今起きた出来事に対して反応を見せない楓を不思議に思ったのか、プリムラが
楓の服の裾を引っ張り彼女に呼びかけた。
「楓……大丈夫?」
「だ、大丈夫ですよ」
「何か楓うれしそう」
「そうですか? そんな事は無いですよ」
プリムラにも分かる位だ、シアとネリネにも楓の上機嫌っぷりがすぐ分かった。
「カエちゃん何か良い事あったの?」
「良い事……そうですね。良い事かもしれないですね」
つい先ほどは自分がうれしそうだという質問を否定しておきながらも次のシアの質問に
肯定してくるとは、楓は中々にして上機嫌らしい。
「何? 何? 気になるなぁ〜♪」
「あ、いえ、今の稟くんが格好良かったから……」
稟が何時もやる何気ない行動。
当事者本人である稟はその事に対しては何も分かっていない。
彼にとっては最早本能的行動に近いものがあるのだが、それが楓の心を奪う行為となって
いるとは稟自身分かってないのだから困った話である。
「うんうん、分かるなぁ〜それ」
「つい見惚れてしまいますよね」
「助けてくれるときの稟くんの笑顔って素敵ですよね」
「そうそう! カエちゃん分かってるなぁ〜!!」
「稟さまの笑顔が見れるだけでも幸せになれますからね」
テンプテーションでもかけられたかのような表情をさせて頭の中で稟の笑顔を想像し、
ため息をつく3人。
夢見る乙女、と言うには些か語弊がありそうな状況下ではあるが、稟に心底惚れて
しまっている彼女達にとっては当然なのかもしれない。
彼女達にとって稟は、正にネコに対するマタタビ的効果を発揮するモノらしい。
そんな中、稟は既に玄関から外に出ており、惚けている3人を現実世界へ引き戻そうと
大きな声で呼びかける。
「おーい。さっさと行くぞー」
「あ! す、すみません稟くん」
「あー! リムちゃん稟くんと手繋いでる! ずるいっすー!」
「早い者勝ち……」
「そういえばネリネは何か作ったのか?」
「はい、今日の卵焼きは良い出来だと思います」
「そりゃ楽しみだな」
学園の4大ヒロインに囲まれながら稟はまだ朱に染まった状態の道を歩く。
近頃は陽が沈むのが遅くなったな、と感じながら。
「よぉー! 稟殿! ここだここだぁ〜!!」
「お先にやらせてもらってるよ」
分かりやすい。実に分かりやすい。
確かに騒動は起こしていなかった。いや、まだ起こしていないと言った方が正しいの
かもしれないが、騒動がすぐ起きるような状況とは少し違っていた。
「どうやってこの場所確保したんですか?」
「いや、それはだなぁ」
「稟ちゃん、権力っていざと言う時には便利だよねぇ」
こいつらまた職権乱用したな。
楽しそうに酒を酌み交わす両王に対して言ってもしょうがないと分かっているらしく、
稟は心の中でそう呟く。
ちなみに今現在どのような状態かというと、幾つもある桜の中でも屈指の大きさを誇る
桜の木の下、特等席と言うべき所の半径5m圏内に両王以外の人がさっぱりいないのだ。
シートこそ敷かれているものの、普通ならこれだけの場所を当日に確保する事など
出来るわけがないのだからつまりはそういう事なのだろう。
まぁ怪我人、何かの爆発痕らしきものが見当たらないから力づくとは少し違った方法で
確保してくれたのだろう。これ以上何を言っても仕方がないのが分かっている稟は、
とりあえず適当なところへと座った。
「まぁ、とりあえず席を確保してくれた事だけは感謝しておきます」
「良いって事よぉ! 未来の婿殿の為になら問題ねぇって!」
「そうそう! 稟ちゃんには色々とお世話になってるからねぇ〜」
色々と突っ込みたい所が満載されている発言だが、何とか稟は言葉を飲み込む。
シアとネリネは親の言葉に恥ずかしくなったのか顔を赤くして俯いてしまう。
そんな3人とは別に、のんびりとした時間が流れるのは楓とプリムラ。
三家が用意した三種三様のお弁当を二人で楽しそうにつまむ。
「これ……おいしい」
「リムちゃん、こっちも美味しいですよ?」
「うん……けど楓のが一番」
「ありがとうございます」
「お前ら……俺の気苦労を無視するとはな」
神王と魔王から逃げてきたのか、稟は楓の隣に座ると意地悪くジトっとした視線を
楓へと送った。
「稟くん!? だ、大丈夫ですか?」
「あぁ、諦めた方が俺自身のためだからな。とりあえず飯を食うことにした」
「そうですか。お茶要りますか?」
「頼めるかな」
「はい」
2つの頭痛の種をほおっておいても稟は休まらない。
「はい、稟さま。あーんです」
「あ、うん……あむ」
「美味しいですか?」
「うん! また上手くなったんじゃないか?」
「そうですか!? 稟さまにそう言ってもらえると嬉しいです」
稟は特に反論することも無く、ネリネのあーん攻撃を素直に受ける。
美味しそうにネリネ特製卵焼きを頬張る稟を見て、ネリネは安堵の表情を浮かべていた。
それと相反して不機嫌そうな二人の表情。一足先に稟に対するあーんをされたのがどう
やらご不満らしい。
「リンちゃんずるいっす!」
「稟くん、私のお弁当お気に召しませんでしたか?」
「シ、シアちゃん!? そんな、私はただ……」
「いや、楓の料理もちゃんと美味いぞ!?」
「むむむ……カエちゃん! 私たちも負けてられないっすよ!」
「は、はい!」
何故か意気込む二人。
まぁこの状況下で何を意気込むのかというと一つしかないので分かりきっている事では
あるが。
稟も分かっているらしく、二人の箸が自分の口元へとやってくるのを待ち構える他
無かった。
「はい、あーんっす☆」
「あむ……うん、美味いなこのエビチリ」
「何せ魚屋さんを探し回って見つけた逸品っすから!」
目から炎が出んとばかりに力説をしてくるシアも稟に褒められてご満悦のご様子。
「はい、稟くん……あーん」
「んむ……さすが楓だな。俺好みの味だ」
「もちろんです」
楓もまた嬉しそうに微笑む。楓にとって稟に褒められることが最上級の喜び。
稟に褒められた楓は何処と無く誇らしげであった。
「うー……まだまだカエちゃんの領域に到達するのは難しそうっす」
シアの料理も普通に絶品の部類には入るのだが、やはり彼女は稟が好む味付けを目指して
いるらしく、それがまだまだ敵わないのが分かったのかがっくりと肩を落としてしまった。
それぞれの反応を見せる3人を置いて、プリムラは黙々と料理を食べ続けていた。
「プリムラ、美味いか?」
「うん……」
ほんのりではあるが嬉しそうな表情をするプリムラを見て稟も微笑む。
そんな中、プリムラはその小さい体を精一杯使って箸を伸ばす。
どうやらギリギリ手が届かない所にある料理が食べたいらしい。
それに気づいた稟は、彼女の手に自分の手を添え、無理をしないようにと押し止めた。
「ほら、何が食べたいのか言ってみな」
「酢豚……」
プリムラが欲していたのは魔王様特製の酢豚らしい。
稟は食べやすいようにと紙皿に取り分けてプリムラに渡そうとするも、プリムラは
それが嫌なのか首を横に振った。
「ダメなのか?」
「あーん……」
プリムラは先ほどのネリネ、シア、楓とは正反対に自分が口をあける。
稟も彼女が何をしてほしがっているのかが分かったらしく、一度溜息を吐いてから
酢豚を箸で掴むとプリムラの口元へと運んでやった。
「美味いか?」
「うん……ありがと」
先ほど以上に可愛らしい笑顔を見せてくれるプリムラ。
どう反応して良いか分からなく、気恥ずかしくなった稟はプリムラと同じように酢豚を
口に入れる。
それを見たプリムラが何時も通りの口調で一言
「間接キス?」
その一言に稟は箸を止めると、暫しの間箸を眺めながら先ほどの一連の流れを頭の中で
再生させる。
ゆっくりとその動きを再開させると
「ぶほっ! ごほっ! ごほっ!」
盛大にむせた。
「あー! リムちゃんまたー!」
「リ、リムちゃん今の誰に教えて貰ったんですか?」
「亜沙……」
「亜沙先輩ですか……」
作戦勝ち、とでも言うように胸を張るプリムラに溜息をつく楓達。
一体あの先輩はプリムラに何を吹き込んでいるのだろうか。
彼女達はとんでもない事をしてくれた先輩に対して呆れる他無かった。
一時間、二時間と時は過ぎども宴会は終演に向かう気配すら見せない。
自宅での宴会でも朝まで行われる時があったりもしたわけだから、今回もすぐには
終わらない事も覚悟してはいたものの、さすがに疲れたのか稟は宴会の席から立つと、
少し離れた土手に腰をすえて自分の上に咲き誇る桜をのんびりと眺めた。
小さく聞こえてくる人々の喧騒が妙に心地いい。
下からライトアップされた桜が空を漆黒と桜桃に染め上げている。
この限られた時期にのみ味わえる光景が稟には楽しかった。
「稟さま?」
視界に広げられていた桜色が蒼色へと変わる。
その中心にすえられたのは真紅の眼。
「ネリネか。どうしたんだ?」
「稟さまが居なくなったので探しにきたんです」
「何だ、ネリネも逃げ出してきたのかと思った」
「ふふっ、それも半分あります」
寝そべった状態になっている稟をネリネが真上から見るような状態になっている。
しかもネリネはスカートを履いているわけで。
「ネリネ……スカートの中」
それ以上は稟は何も言わない。
言わないが、視線を逸らす事によってその先の言葉を指し示していた。
稟が見た限りで確認できたのはネリネの今日の下着はピンクだという事位か。
ネリネもそれが分かったのか、スカートを少し抑えてはにかんでしまう。
「稟さまになら構わないんですけどね」
「前にも似たような台詞言わなかったか?」
「そうですか?」
稟は体を起きあがらせると背中についた埃を払って土手を上る。
「ちょっと歩こうか」
「はい」
「初めての桜、だろ?」
「そうですね。こうやって夜に見るのは初めてです。綺麗なものですね」
「そうだなぁ……」
稟は一言呟き、ネリネを横に置いて一緒に歩きながら明るく照らされる桜を見上げる。
ネリネも同様に歩く中、稟はその歩みをゆっくりと止めた。
四、五歩と歩みを進めたところでネリネは隣に稟が居なくなった事に気づき後ろを振り
返った。
少し後ろに居た稟は何時もの優しい笑みを浮かべている。
「稟……さま?」
「うん、綺麗だ」
自分の方をまっすぐみて言われた一言にネリネは戸惑いの色を隠せない。
自分は桜が綺麗と言った。
しかし稟は自分の方を見て綺麗と言った。
どっちに取ればいいのだろうか。ネリネが眼を泳がせながら戸惑っていると、稟は更に
一言付け加えた。
「桜とネリネ。両方ね。カメラでも持ってくるんだったかな」
「稟さま……」
春風によって桜の小枝が揺れる中、稟とネリネは見つめ合う。
暫し二人は何も言わずに見つめ合った後に稟が歩こうとした矢先、後ろからフラッシュが
たかれる。
その後にこれまた頭が痛くなりそうな明るい声が聞こえてきた。
「あー、甘い甘い。甘すぎなのですよ土見さ〜ん」
「ま、麻弓!?」
「はぁい☆ 祭り事にはハプニングが付き物だから何か無いかと着てみれば、実に良い物を
見せていただきましたよお代官様」
スクープを撮った時のえにも言われぬ満足感を感じている麻弓の機嫌はすこぶる良い
みたいである。
見られたくない人間筆頭である麻弓に見られたとあっては稟も大人しくはしていられな
かった。
「麻弓……何を撮ったか見せろ」
「本来なら折角の写真を他人にほいほいと見せるのはジャーナリスト魂を汚す事になる
けど……ま、今回は普通の画なのですよ」
ネリネがおろおろとする中、稟は麻弓のカメラで先ほど撮った写真を確認する。
「……麻弓、1枚頼めるか?」
「本来なら有料だけど、毎度毎度ネタを提供してくれる土見くんの頼みだから、今回は
特別に無料にしてあげるのですよ」
「俺は久々にお前の事を良い友だと思えたよ」
「……何それ」
「あの、稟さま?」
麻弓と稟のやりとりがさっぱりわからないらしく、ネリネが稟の元へとやってきて
話しかける。
稟が話しかける前に麻弓がネリネの元へと近寄る。
麻弓が相変わらずニヤニヤとしているのにネリネも少々怖がっているようだ。
「リンちゃん、土見くんってばこの写真が欲しいって言ってるのでありますよ〜」
「え、あの……稟さまはこれがお好きなんですか?」
「好き? まぁあの写真は良いかなって思ったけど」
「そ、それでしたら写真で無くてもお見せしますのに……」
「は? 何言ってるんだ? ネリネ」
「だ、だって……」
ネリネが顔を真っ赤にしながら見せてきたデジカメの画面。
そこに映し出されていたのはいつぞやの時にネリネが魔王にそそのかされて着させられた
メイド服の写真。
稟が麻弓に先ほど確認していたのは桜の木をバックにネリネが立っている写真。
どうやら麻弓の仕業らしい。
カメラを俯きながら眺めていた稟は少し離れていた麻弓のほうへと振り向くと、麻弓は
全身をぞわぞわっと震わせた。
稟の顔が怖かった。笑顔が笑ってない、そんな印象を受けるその笑顔は怒りを超えた
それなのだと麻弓は直感した。
「麻弓……いまから懲らしめにそっちに行く。トイレは済ませたか? 神様にお祈りは?
桜の木の根元でガタガタ震えて命乞いをする心の準備はOK?」
「つ、土見くん吸血鬼にでもなっちゃったわけ?」
「細かいことは気にするな。それじゃあ行くぞ」
「ご、ご無体な〜!!」
「逃げるな麻弓〜!!」
だんだん遠くへと姿が小さくなっていく稟と麻弓の鬼ごっこを見ていたネリネは、手元に
置いていかれた麻弓のデジカメに気づいた。
今画面に映し出されていたのは先ほど稟が見たメイド服の自分。
それに苦笑しながら操作キーを押してカメラに収められている写真を次々と見ていくと
一枚の写真に眼がとまった。
稟と自分が手を繋いで喋っている一場面。
恐らくは放課後二人だけで帰ったときを撮られたのだろうか。
こんなのを撮られていたと言う事に恥ずかしさを覚えるネリネだったが、嬉しそうに
微笑んでいる写真の中の自分につい笑みが零れる。
稟に言われたように今自分は稟と一緒に笑っていられている。
それが彼女にとっては何より嬉しいことだった。
自分が笑うということはリコリスも笑っているのだから。
「今度麻弓ちゃんにこの写真を貰えるように言っておきましょうか」
そう言いながらネリネはカメラを構える。
シャッターが押され、カメラには新たな一枚がおさめられる。
映し出されたのは稟に懲らしめられている麻弓の姿。
こんな写真があるのも思い出として良いんじゃないかな、と思いながらネリネは
楽しそうに笑う稟を見て自分も笑った。