「お断りします」
 それは最早反射神経が成す反応速度だった。

 朝早くから我が家にやってきた魔王のおじさん。
 普段一人で来る事が無い人が一人で来て、尚且つ俺にお願いをしてくる。これだけで
良い事なんて想像できるはずがない。無理やり起こされてまだ覚醒していない俺の頭ですら
数多の騒動につき合わされた経験から拒絶反応を知らせている。
 おじさんのお願いを断るのは極々自然の行為であった。
「そんなぁ〜、稟ちゃんパパのお願い聞いてくれたって良いじゃないか〜」
「パパじゃありませんって」
 俺の当然の反応に半泣き状態でしがみついてくるこの人は果てしなくうざい。
 一日の始まりである今時分になんともテンションが下がる事だろうか。いっその事もう
一度寝なおして一日をリセットしたいくらいだ。
 幾ら拒んでも魔王のおじさんは離れてくれることもなく、それどころか今まで以上に
しがみついてくるものだから結果として何時も通りに俺が折れる事となってしまった。

「で、何が用件なんですか」
「そうそう、ネリネちゃんに稟ちゃんを呼んで来てもらえるようお願いされちゃってね。
もちろん私として断るわけないからこうしてお願いしにきたわけさ」
「ネリネが……?」
 こんな時間に何の用なんだろうか。しかも自分から来ないでおじさんに頼むなんて。
 とりあえず断らずに用件だけ聞いてみて正解だったみたいである。
「わかりました。家の方に行けば良いんですね?」
「部屋で待ってるらしいから部屋の方まで行ってくれて良いからね」
「あれ? おじさんは帰らないんですか?」
「ちょっと私は神ちゃんに用事があってね、今から行かなきゃいけないんだ。それじゃあ
稟ちゃん頼んだよ」
 魔王のおじさんと神王のおじさんが会った後は碌な事が起こらない。
 これもこの人達とかかわり始めてから学んだ事だった。まぁ最終兵器であるシアとネリネに
頼めば深刻な事態にはならないだろう。
 考えても無駄な事をうだうだ言っていても仕方がない。
 頭痛の種を一先ずほおっておいて俺は彼女の元へと行くことにした。



「相変わらずでかい屋敷だ……」
 何度もこの家にお邪魔はしているが行った事がある部屋としてはリビングと客間、そして
ネリネの部屋位のもので恐らくはこの家の全ての20%程度しか知らないのだろう。一歩
間違えたら迷子にでもなってしまいそうな印象すら受ける。
 至る所に置かれているアンティークに目を奪われながらも俺はこの家の中で数少ない
場所であるネリネの部屋へと歩いていく。
 この家らしい我が家とは違う重厚な扉を一つ、二つとノックをする。

 ──反応なし。
 再度二つ、三つと扉を叩く。

 ──やはり反応が無い。
 もしや部屋に居ないのだろうか? 普段ならばすぐに返答が返ってくるか扉が開く
為、今の状況に少々不安になってしまう俺が居た。
 部屋に居るのならば居るで返答が無いのがおかしい。もしかしてネリネの身に何か……。
 一先ず悪いとは思いつつもドアのノブに手をかける。ノブは何の引っかかりもなく
すんなりと回る。どうやら鍵はかかっていないらしい。そのまま扉を開くと俺の脳の髄に
魅惑的な匂いが入り込んできた。
 毎度のことではあるのだが女性の部屋の独特の匂いは思春期の男性にはどうにもよろしく
ない。比較的入る頻度が高いこの部屋でも未だに入るだけで思考力が低下しかけてしまう。

 いかん、こういう時こそ頭の中で素数を数えるんだ。

 必死に誘惑に負けないようにしながら部屋を見回すとベッドに膨らみを確認した。
 悪いことをしている訳ではないのだが何故だか足音を立てないようにそろりそろりと
ベッドの元へと歩いていく。眠っているネリネの元へとたどり着いた時には俺が数えていた
素数は163となっていた。

 目の前で幸せそうに眠る魔界のお姫様。その端整な顔立ちは力なく緩み、エンジェル
スマイルとでも例えたくなってしまう。
 白く輝く彼女の綺麗な肌にくっついているピンク色でプリンとした柔らかそうな唇。
 こ、これはやはり王道ではあるけれども眠り姫を起こすためには王子様のキスが必要な
わけで……いや、俺って王子様じゃないよな?
 腹が減っている時に目の前においしいりんごが生っていれば食べるのは自然の摂理。
 それを恥ずかしがる理由などあるわけがない。
 いや、言い訳じゃなくてね。
 少しずつ、少しずつ自分の顔をネリネに近づけると次第に俺の顔へ彼女の吐息がかかって
きた。耳をそばだてると彼女の小さな寝息が聞こえてくる。
 さすがに寝てる所を襲うのはいろいろと問題あるよな……。
 理性のダムは既にひびが入っているのだが何とか決壊を阻止しながら俺は待ちに待って
いた唇の感触を手に入れようとしていた。

 後、少し──

「んん……」
 お約束と言えばそれまでなのかもしれない。
 眠り姫は別に魔女によって永遠の眠りにつかされていたわけではない。もちろん朝に
なれば自然と目覚めるものだ。
 となると俺は完全に情けない状態となってしまったわけである。
「んぁ……」
 目覚めたお姫様の視界に最初に入ってきたのはもちろん俺の顔。しかもドアップ。
 最初は何が何だかわからない状況だったのかネリネは寝ぼけなまこな表情で俺をまじ
まじと見つめてくる。
 今の状態では戻っていいのかこのまま突き進んでいいのか完全に分からなくなってしまった
俺は固まってしまっていた。
「稟……さま?」
「お、おはようネリネ」
 俺である事をやっと理解したネリネに自分なりに精一杯の笑顔をみせてあげた。にしても
多分俺の笑顔、引きつってるんだろうな。
「稟さま……」
 二人の間の距離は極僅か。睫毛同士が触れ合う程の距離を縮めるのは簡単な事で、
どちらかがほんの少し近づけば良いだけ。その距離を彼女から縮めてきたのだ。
 さっきまで待ちかねていた心が湧き上がるような感触が唇から伝わってくるのが分かる。
 何度味わっても脳が痺れる様な感覚を受ける。彼女も同様なのか覚醒していない頭の中に
容赦なく入ってくる快楽に早くも酔いしれているようだった。
「んふぁぁ……」
 ネリネは大きく息を吐きながら唇を離すと幸せそうに微笑む。
 あまりの可愛さに俺が彼女を抱きしめたくなる衝動に駆られる前に彼女は彼女自身から
俺の背中へと腕を回してきた。
「稟さまぁ」
 彼女の細く、重いものも満足に持てない腕からは考えられない程に強い力が俺へと
伝わってくる。その力強い想いに答えるように俺も彼女を抱きしめる。
 いっぱいに抱きしめられるようにベッドへと体を沈めると、彼女の体温で暖まった
布団が実に心地よかった。
 彼女と密着すると体に伝わってくる感触で一番強烈なのは彼女のチャームポイントで
あり、コンプレックスともなってくる豊満な胸。幾らかの抵抗感を残しながらも柔らかさが
俺の体へと染み渡ってくる。そういえば最近また少し大きくなったと言っていたっけ。
 それが自分のせいなのかと思うと恥ずかしいが嬉しくもあった。
 そんな感傷に浸っていても本能は実に正直で嘘をつかない。甘美たる刺激を受ければ
もちろん欲望が表へ覗き込んでくる。
 冷静に、冷静にと思っても少し視線を胸元へ下げれば耳を赤くさせた愛しい彼女が
そこに居る。視線をわざとそらしても皮膚から彼女の存在を嫌でも確認出来る。


 我慢するべきなのだろうか
 我慢をしなくてもいいんじゃないのだろうか
 我慢はするべきじゃないだろ


 考えがどんどんと肯定的な内容へと摩り替わる。俺の中にもう一人の俺が居るような
気さえしてくる。
 スタートラインへはもう立った。後は姿勢を正して走り出すだけ。
 そう、後ろから押されるだけ。

「くぅ……」
「へ?」
 言うならばスタート直前に後ろから思いっきり押されてこけたような。
 踏み切ろうとしたらスターティングブロックが壊れてすかされたような。
 相撲で言うなら立会い早々に猫だましをくらったような。
 ともかく俺はものの見事に空回りした状態を食らってしまった。
 俺がいろいろと考えを巡らせている内に彼女はまた寝てしまったらしい。俺が近くに
居ることで安心してしまったのだろうか、何時の間にか眠りの世界へと再度旅立って
しまったらしい。
 ま、こんな状態で起こすのも悪いし寝かせといてあげよう。
「親子共々振り回すんだからなぁ……」
 苦笑交じりにそう呟いてから俺は触り心地の良い彼女の髪を梳いて楽しんだ。




「ふわぁ……あれ? 稟さま?」
「おはようネリネ。といってもおはようの挨拶するのは今日で二度目だけどね」
「二度目……ですか? 記憶にないです……それに昨日は稟さま家にはいらっしゃらなかった
ですし……」
 あれ? おかしいな。ネリネに呼ばれてきたはずなんだけど。
 ネリネ自身俺がここに居るのを不思議がってるようだ。
「俺はおじさんにネリネが呼んでるって言われて来たんだけど。そしたらネリネに襲われて
ベッドに入ったってわけ」
「え? わ、わ、わ、私が稟さまを!? そ、そんな……覚えてませんし……た、確かに
最近あまりしてなかったら、じゃなくって……」
 おー、おー、混乱してる。
 エッチな内容で少しからかうだけでも純情な彼女は面白い位の反応を見せてくれる。
 それが可愛いからついついからかってしまう俺はサドの気でもあるのだろうか。
「まぁ襲ったって言っても俺がキスしようとしてた所にネリネが起きてネリネからキスをして
きたってだけだけどな。それにその後ネリネってばすぐ寝ちゃうしな」
「す、すみません……」
 俺の言葉の意味を理解しても恥ずかしいのか、彼女はまた耳まで真っ赤にして布団に
潜り込んでしまった。
「しかし、ネリネが呼んだんじゃなかったらおじさんの作戦か」
 まぁ半ば分かっていた事だけどな。
 今回に限っては誰に迷惑がかかってる訳でもないし起こる必要もない、か。
 それどころかネリネの寝顔なんて良いものを見れたのだから少しだけ感謝しておこう。
あくまでも少しだけだが。
「お父様ったら……けど」
 ネリネはそこで言葉をとめると俺をじっとみつめてから一言
「起きて稟さまにすぐ会えましたから、今日は良い日ですね」
 俺に渾身の攻撃をしかけてきてくれた。
 くうぅ……樹よ、これが萌え死ぬと言うやつなのだろうか。ネリネの事だから狙って
こんな事はしないのだろうが、その分攻撃力も高い。天然はこれだから恐ろしい。



 俺が家に入ってから玄関の扉が開く音はしなかった。つまりはこの家の主である魔王の
おじさんはまだシアの家にでも居るのだろうか。
 ……よもやこんな時間から呑んでたりしないだろうな。
 まぁシアが居るから大丈夫か。
 考えもしたくなかった事についつい頭を痛めながらそとに視線を移す。
 今日も快晴、良い天気。何処かに出かけないともったいないよな。
「ネリネ、今日はどうする?」
「稟さまは……? えっと、どの服がよろしいですか?」
「え? えっと……」
 彼女がちらちらと視線を送るクローゼットの中には魔王のおじさん謹製のコスプレが
並んでいる。
 あぁ、そう言う意味に捉えてしまいましたか。すみません、きっと俺のせいですよね。
純情なお嬢様をこんな色に染めてしまった自分自身に少し反省。
「とりあえずはパジャマ姿のネリネなんかも良いんじゃないかなぁって……」
「そ、そうですか? ちょっと恥ずかしいです」
 いや、俺違うって。確かにめったに見れないパジャマ姿なんかは劣情をもよおす位に
良いんじゃないかなって思ったりもするけどさ、じゃなくて本題に戻さないと。
「まぁそっちも良いんだけどさ、今日の予定とか。どっか行く?」
「あ……そ、そうですね」
 やっぱり自分の考えが違う方向へ行ってしまっていたという恥ずかしさに俯いて
しまう。まぁ朝からってのも悪くないかもしれない。たまには、な。
「まぁ俺としては我慢できないし、今日の予定は後でって事で」
「り、稟さま!? んあっ!」
 可愛らしいパジャマの上からその豊満な胸へと手を伸ばすと薄い布、そして少し硬めな
ブラジャー越しに柔らかさが伝わってくる。
「寝てるときとかも着けるんだ?」
「は、はい……仰向きで寝るときに胸が横に流れると苦しいので」
「大きいのは大きいので大変なんだな」
「確かにそうですね」
 ネリネは苦笑といった表情をみせてくる。
 大きい胸には大きいなりの悩みってのもやはりあるもんなんだな。麻弓に言ったら呪詛の
一つや二つかけられそうだけど。
 そんな事を話しながらパジャマのボタンをプチンプチンと一つずつ外す。
 その度に彼女の体は小さく震え、大きな胸も揺れて眼福と言った所だ。
「ネリネ、良いか?」
「は、はい。どうぞ……」
 朝方からするなんてこんなの楓に知れたら怒られるな、きっと。





 朝早くからの情事に溺れた後は二人で仲良くシャワーを浴びる。
 その後しばらくしてから頃合を計ったかのように魔王のおじさんが帰ってきたのには
流石に閉口してしまった。まさかこの人家の中に使い魔でも放っておいてるんじゃない
だろうな。
 何時もの様に澄ました笑顔をしている辺りが怪しさを醸し出している。
 そしておじさん手作りの朝食を美味しく頂きながら改めて今日の予定について話し合う
事にした。無論、何処に行くかという事について。
「久しぶりにお買い物をしたいのですが、よろしいですか?」
「うん、良いんじゃないか? 何か欲しいものでもあるのか?」
「は、はい……じ、実は今のブラジャーが少し小さくなってきてるのでまた欲しいと
思いまして……」
 まぁ、確かに大きくなったら今着けているのはきつくなるわけで、小さいのを着け
続けると形が崩れるなんてのもどっかで聞いた気もする。だから買う理由は確かに
わかる。分かるんだけど
「お、俺も一緒に?」
 俺の頭の中に浮かんだ疑問点としては実に当たり前のことだった。
 前にプリムラのを買いに行った時に付き合わされてそれはもう恥ずかしい思いをした
のだ。出来る事なら行きたくは無い。
「はい。やっぱり稟さまがお気に召すものが良いかと思いますから……」
 こんな事をこっちをちらちらと見ながら言うんだもん。
 突っぱねる事をしろっていうのが無理な話だろ?
 俺悪くないよね? これは不可抗力だよね?
「そ、そっか。それじゃあ、まぁ……」
「本当ですか!?」
 俺が許可したとたんにぱぁっと明るくなるネリネの表情は良いとして、何故あなたまで
嬉しそうにするんですか、おじさん。


 まぁネリネと居れるんだから今日は良い一日になりそうではあるけど……多分今日は
疲れる一日にもなりそうだな。
 そんな一抹の不安を覚えつつ、俺はこちらに向けて笑顔を見せてくれるネリネに対して
精一杯の笑顔で答える他無かった。

 これが悪魔の微笑みってやつなのだろうか。
 それなら納得かもしれない。

 

 

 

 


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