「ダーリーン」
「はーい」
 甘いミルファの声と共に首元に感じる柔らかい感触。
 最初の頃は全身が硬直するほどに反応していたものも、今では大分慣れてきたのか
恥ずかしいものの嬉しくも感じる。
 これが彼女の愛情表現なのだから。
「ねぇねぇ〜」
「はいはい」
「むー。ダーリン最近反応がそっけない」
「そう?」
 後ろから抱き付いてきている彼女の表情は、俺の頭に彼女の顎が乗せられているから
良く分からないが、ふてくされて居るであろう事は彼女の口調から容易に想像できる。
「もう、あたしの事飽きちゃった?」
「何でそうなるの……」
「だって、だってぇ〜」
 ミルファはこうやって自分から積極的なくせに、時々極端にネガティブになる事がある。
 彼女との一連の騒動があった後は富にそれが感じられる。
 まぁこれも可愛いところなんだけど、とか言ったりしたらこれは幸せ者の惚気話に
なるんだろう。
「少なくとも俺はミルファと一緒に居て飽きる事は無いけどな」
「本当?」
「本当。ミルファは?」
「あたしはダーリンの事しか考えてないもん。飽きる事なんて無いよ?」
 さも当然に凄いことを言ってくれる。
 けど、冷静に考えるとその方が飽きるんじゃないのかね。
「じゃあじゃあ、ダーリンはあたしの事好きなんだよね?」
「……好きだよ」
「えへー」
 多分、今彼女の表情はデレデレの状態なんだろう。
 頭にほっぺを擦り付けてきてるし。
「じゃあじゃあ、何でそんなにそっけない返事なの? 一緒に何かして遊ぼうよ〜」
 今度は話がループし始めた。
 どうやら俺の反応の薄さが気に入らないらしい。
 とりあえず何で俺がこんな状況なのかを説明しないと彼女も分かってくれないんだろう。
 と言うよりも、分かっていてくれて無いとおかしいんだけど。
「何で?」
 俺は、そこで握っていたペンを離すと、改めて状況を説明した。
「それはテスト前だからだよ」

 


 テスト1週間前を切った今、俺はイルファさんから理不尽な条件を突きつけられていた。
 話は少し前に遡る。
「ミルファちゃんの成績が一向に上がってません」
 どうやらイルファさんはミルファの成績の底辺を這う状態が宜しく無いらしい。
 確かにミルファの成績を考えると、宜しく思われないのも当然だろう。
 ミルファはイルファさんのお小言が嫌な様で、そっぽを向いてブツブツと呟く。
「何でお姉ちゃんが知ってるのよ……」
「職員室のパソコンなんてセキュリティ甘いからなぁ〜」
「珊瑚ちゃん……」
「こほん。ともかく、ミルファちゃんの成績は真っ赤も真っ赤。研究所の皆さんにとても
 お見せできる成績じゃありません」
「別に長瀬のおじさんとかは怒らないもーん」
「私が恥をかくんです!!」
 ……何かイルファさんがお勉強ママになってきているような。
「お姉ちゃんの事なんか知らないもん」
「とにかく! 今度のテストで赤点が4つ以上あった時は罰として、貴明さんと1週間
 会うのを禁止します」
 何と言う条件。
 ちなみに、教科は全部で7教科。つまり半分以上赤点だとダメというわけだ。
 更に言うと、ミルファは今のところ赤点は6個ほどだったりする。

 非常に難易度が高いミッションだと思うんだけど。

「1週間!? だって、ダーリンとは学校でだって会うんだよ?」
 さしものミルファも、俺の事となると目の色を変えて反応を示してくる。
「学校は流石に仕方ありません。ですので、授業が終わり次第ミルファちゃんはうちに
 帰ってきて貰います。学校に居残ったり、逃げるのは無駄ですよ?」
 イルファさんの笑顔が本気である事を証明している気がする。
 ミルファは、イルファさんの言葉に反論するかと思いきや、逆に条件を突きつけてきた。
「じゃあ、逆に赤点が4つ未満ならダーリンの家に1週間お泊りするからね!!」
「えっ!? ちょっ、ちょっとミルファ!?」
「構いません」
「イルファさんも何言ってるのさ!?」
 何だか俺の知らない間に俺が賞品にされてしまっている。
 何でこんな目に……。
「更に、シルファちゃんもその間はこちらの家に戻ってきてもらいますから、二人きりに
 なってもらって構いませんよ?」
「……ふふふふふふふ…………」
 追加された条件に、ミルファの表情が嫌な笑みを浮かべ始める。
 イルファさん何してくれちゃってんのさ……。
「分かったわ! こうなったら、あたしの本気を見せてあげよーじゃないの!!」
 何らかのスイッチが入ったらしく、ミルファはコブシを握り締めながらすっくと
立ち上がり、気合を見せてきた。
 ……今日は水色か。
「あ、それと。瑠璃さまも少々頑張っていただかないと不安ですので、同条件でダメ
 だった場合は、1週間私と同じベッドで寝ましょうね♪」
「何でウチも〜!?」
 完全にとばっちり状態の瑠璃ちゃんは、いきなりの条件提示に飛び跳ねそうな勢いで
驚いている。
「それならウチも一緒に寝るー☆」
「あら、珊瑚さまダメですよ? これは私のごほう……ゲフンゲフン」
「イルファ〜が楽しみたいだけやんかー!!」
「そんな事ありませんよ」
 イルファさん、その笑顔が逆に怪しいです。
「そういう訳ですので。ミルファちゃん、頑張ってくださいね。貴明さんは
 ミルファちゃんのお勉強の手伝いをしてあげても結構ですので、ご自由にどうぞ」
「は、はぁ……」
「ダーリン! 二人の愛のパワーで頑張ろうね!!」
「お、おー」

 

 こうして俺はミルファの試験勉強も見ることになってしまった。
 だからこうやって勉強をしているのだ。ここで俺が赤点連発しようものなら、イルファ
さんに何をされるか分かったものじゃない。
 最悪あの家に引きずり込まれる可能性だってある。
 ……それはそれで悪くないかも。
 じゃなくて。多分そんな事になったら俺の自由がなくなる気がする。
 で、当人であるミルファはこうして勉強をせず、遊ぼう、遊ぼうと言ってくるのだ。
 相手にしてもらえなくて駄々こねてるネコじゃないんだから勘弁してもらいたい。
「別に1週間俺と一緒に居られないのが構わないなら良いけど、勉強しないの?」
「う……勉強するぅ」
 イルファさんの出してきた条件は効果覿面で、俺がそれを言うと、ミルファは大人しく
広げられた教科書の前に座ってくれるのだ。

「あー。もう、わかんなーい」
 けど大抵はすぐにエンストを起こすんだけど。
「どこ?」
「ここー」
 今やっているのは数学の問題。
 高校程度の数学なんて公式を覚えれば特に赤点を取ることは無いと思うんだけど。
 というより、メイドロボの頭脳をもってすれば数学は楽勝な分野だろう。
 なのに何であんな点数を……。
「ここは、こうで、こうだから……で、ここでこの公式を使って」
「あー、そうなのかー」
「分かった?」
「うん。こうでしょ?」
 どうやら分かってくれたらしく、次の似たような問題をミルファはあっさりと解いて
みせた。
「ダーリンって教え方上手いね」
「そうかな? まぁこのみ相手に教えてやってたことはあるけど」
 このみも成績は良い方じゃなかった分、泣きつかれて教えてあげた事もあった。
 その時のせいかもしれないな。
「けど、俺だって授業で聞いてるのを鵜呑みしてるだけだし、大した事無いと思うけど」
「そんな事無いよー。だって授業中は眠り歌聞いてるみたいに眠くなるけど、ダーリンの
言葉だとちゃんと覚えられたもん」
 うーん、それは俺の言葉を全て覚えるという、こいつの最先端技術の無駄遣いの成果
だと思うんだけど。
 結果的にそれが功を奏すればいいのかな。
「ダーリン、次教えてー」
「自分で少しは考えようよ」
「ほら、二人の共同作業ー♪」
 それは違うと思う。


「うぅぅ……」
 テスト勉強も佳境に迫る頃、ミルファは最大の難関に直面していた。
「こんなのわかんないよー!!」
 ミルファはついに限界が来たらしく、唸りながら眺めていた現代文の教科書を
投げ上げる。
「こんなお話の登場人物の思考回路なんて知らないもん……そもそもジェバンニって
誰よ……」
「まぁ、確かに難しいよなぁ」
 日本語自体が抽象的な言葉だし、物語の一文からその人の思いを汲み取るなんて一般の
学生でも得手不得手が分かれる位だ。
 ミルファにとっては英語の方がまだ分かりやすいらしい。
 俺にはその方が羨ましいけど。
「とりあえずさ、ことわざと漢字だけでも覚えてさ、後は選択肢任せで行くしか
ないんじゃない?」
「うー、けどぉ、どうせなら赤点ゼロにしてお姉ちゃんを見返したい……」
 結構負けず嫌いな性格だからか、いつの間にかハードルが高くなっていた。
 まぁミルファのそういうところが好きなんだけど。
 頑張り屋と言うか。
「そしたらこれからずーっと、ダーリンと同じ家に住めるもんねー☆
 これで名実共にダーリンのお嫁さんに……よぉーし!!!」
 ……動機が不純なのはともかくとして、頑張るのは良い事だよな。
 俺だって小遣いアップ目的でテスト頑張ったしね。
「けどやっぱりわかんなーい」
「諦め早っ!?」

 

 そんなこんなで、テスト期間がやってきた。
 俺はと言うと、ミルファのテスト勉強の手伝いをしていたおかげか、自分でも驚く位に
順調に進んでいった。
 結果自体は返ってこないと分からないものの、平均点を彷徨っていた今までに比べれば
遥かに良い点だと思う。
 そして、ミルファはと言うと。
「ダーリン♪ これで毎日一緒に居れるね〜♪」
 よっぽど自信があるのか、テストが終わった瞬間に当確宣言である。
 教室で抱きつくのは止めて欲しいが、あれだけ毎日頑張ったのから開放されたんだ。
 少々の事は目を瞑るのも良いだろう。
 というか、クラスの連中も暗黙の了解と言うか、慣れたと言うか、ミルファが
抱きついてきているこの状態にも何も言わなくなっている。
 先生ですら、席に着け、と注意する程度の始末。
 ……もしかして俺、見放されたのか?

 

「姉貴に殺される……姉貴に殺される……」
 テストの返却が行われた後、まず目に付いたのが顔を真っ青にし、絶望的な表情を
見せながら震える雄二の姿だった。
 テスト期間前は雄二の事を気にする余裕が無かったから分からなかったが、
あの様子だと勉強なんかはさっぱりしてなかったんだろう。
「雄二、大丈夫か?」
「貴明、今日から俺はお前の双子の弟って事にしてくれ!」
「えぇ!?」
「お前の家の子になれば姉貴の恐怖政治からは逃れられるんだ……俺はこのままだと
 貴族社会に虐げられる奴隷同然の生活になってしまうんだよぉぉぉぉぉぉぉぉ!!!」
 どうやら雄二は混乱している。
「赤点が多かったのか……。俺の家に来ても、どうせ連行されるのがオチだぞ?」
「……だよなぁ……」
 歩いてこれる距離に非難したとしてもタマ姉が来るのは容易に想像できる。
 そして俺はタマ姉に逆らう気は無い。喜んで雄二を差し出すだろう。
 そんな事を雄二も分かってくれたらしく、がくりと項垂れるのだった。
「で……貴明はどうだったんだよ」
「俺!? 俺は……えーっと」
「まぁ、毎日毎日ミルファちゃんと一緒に帰ってたんだから、俺と同じで大して勉強も
 してなかったんだろうけどな!」
 何か雄二の奴、半分自暴自棄になってないか?

「ダーリン!」
 雄二と話していたところでミルファの声と共に背中に重みを感じる。
 どうやら声が軽いところをみる限り、良い結果だったみたいだ。
「ミルファ。結果はどうだった?」
「エヘヘー……じゃーん!!」
 目の前にぶら下げられたテストの点数を見ると、どれも平均点は超えており、最後の
最後まで悩まされた現代文も何とか赤点回避をしている。
 やっぱりやれば出来るんだよな。
 凄いもんだ。
「これでずーっと一緒に居られるね!!」
「そ、そうだね……」
 イルファさんが納得するとは思えないけど。

 

「ほら、やっぱりやれば出来るんじゃない」
 ミルファが自信満々に見せてきたテストの答案用紙を見て、イルファさんはほっと
したようだ。
 そりゃ、あそこまで言っておいて酷い結果だったら目も当てられないもんな。
「勿論! ダーリンと一緒に勉強したんだもーん」
「で、何で俺の結果も見られてるんでしょうか……」
「特に理由は無いですよ? 興味本位です☆」
 笑顔でサラっとそんな事言わないで下さい。
 まぁ、見られても問題ない点数だから良いんだけどさ。
「貴明さんも良い点数じゃないですか。やっぱり教える人が良いと結果もよくなるんです
 かね?」
「愛の力だもーん」
 今回は怒られる部分が無いからか、ミルファも遠慮なしに俺にくっついてくる。
 イルファさんも大目に見ているのか、何も言ってこない。
「ねーねー。これで勝負はあたしの勝ちだよね!」
「勝負とは言ってませんけど、確かに赤点なしなら何も言えませんね」
「えっへん! じゃあこれからはシルファの代わりにあたしが貴明の専属だよね!」
「そ、そ、そそそそそそんな事、シルファは絶対に反対れすよ!!!!」
 突然のミルファの決定したかのような言葉に、先ほどまで会話に参加する素振りも
見せていなかったシルファが慌てて反論をしてくる。
 そりゃ、シルファにとっては寝耳に水な展開だもんな。
「ミルミルがご主人様のお世話なんて出来るわけないれす! 学校に行ってるのに
 ろうやってお世話するんれすか!」
「シルファがメンテ中の時とかは、あたしがダーリンのお世話してたから問題ないもん」
「ぬぬぬぬぬぬ…………ご、ご主人様も黙ってないで何か言うれすよ!!」
「俺!? いや、えっと……シルファには何時もお世話になってるけど、ミルファの
 言い分も、まぁ間違って無いと思うし……」
「もぅ! 相変わらずの優柔不断ならめらめご主人様れすね!!」
 ……反論できません。
「こらこら、二人とも。喧嘩はダメでしょ?」
「だって、シルファが我侭言うんだもん」
「それはミルミルの方れす!!」
 宥めようとするイルファさんにも、ミルファとシルファは中々引き下がらない。
 こりゃ一騒動起きるかな……。
「それやったらウチが良い考え思いついたー!」
 険悪な雰囲気が漂う中、相変わらずの自分空間を展開させていた珊瑚ちゃんが、
バッチリ大発見、と言った感じで割り込んできた。
 珊瑚ちゃんの事だからきっと変な提案を……
「それなら貴明がウチに来ればえぇやん。しっちゃんもこのままおればみんなの希望
 通りでバッチリやー☆」
 全然バッチリじゃありません。
「あのね、珊瑚ちゃん……」
「流石は珊瑚さまです。そうですね、それが一番です」
「えー、それだとあたしへのご褒美分が減っちゃうー」
「それなら、みっちゃんの部屋に貴明が住めばえぇだけやん。
 けど独り占めはあかんよ?」
「わーい! これからダーリンと毎日同じ布団だね!!」
「貴明さんも良い点数を取りましたし、貴明さんへのご褒美としての意味としても
 バッチリですね」
「…………」
 どんどん勝手に進んでいく今後の予定。
 俺に発言権は、俺に拒否権は、俺に自由は無いのか。
 俺は宙に向かって叫ぶしかなかった。

 

「誰か俺に自由をーーーーーーーーーーーーーーー!!!!」

 


 同時刻。
 誰も居なく、鍵のかかっている俺の家のドアを叩く雄二の姿を見た、と後日このみが
語っていた。
 その力ないノック音は、まるで脱走してきた難民みたいだったらしい。
「貴明……た、たすけ……貴明ぃ……」
「あらぁ雄二、こんなところでどうしたの? タカ坊はお留守みたいよ?」
「あ、姉貴……」
「帰って、たーーーーーーーっぷりと聞きたいことがあるんだから、帰るわよ」
 タマ姉に引きずられながら、雄二は悲痛な叫び声を上げたと言う。

 

「誰か俺に自由をーーーーーーーーーーーーーーー!!!!」



 
 



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